新入り期間工の大脱走 ―ツナギのおやじの神隠し―

▼シェアシタ貴方ヘ福ガ訪レマスヨウニ▼

期間工ライフ最大の壁、それが最初の1ヵ月。これに異論はないはずだ。

期間工としての仕事は、3日目から本当の意味で始まる。

ここからは配属されたユニットの一員として、製造業務にがっっつり入ることになるのだ。
逃げ場なし。待ったなし。
そう、ようやくここがスタート地点なのだ。

ひとり立ちするために与えられた準備期間は約1ヶ月。
この1ヶ月の間に、止まっている練習板にすら満足にボルトを打てないおれが、動くラインの上でフォローなしで作業をこなせるようにならなくてはならない。

――もーん、ため息しかでねえ。
今こうして文章を書いているだけでも憂鬱さがよみがえる。
期間工になって最初の1ヶ月は、ホント思い出したくないくらいしんどかった。
あの日々を思い出せば、現在の大概のことがマシに思える。
それを”強くなった”と呼ぶのだろう。

毎日辞めたいと考えていた気がする。
入社前は、なんだかんだ言いつつ3ヶ月くらいは軽くもつだろうと思っていたけど、甘かった。
笑っちゃうくらい甘かった。
TOKI〇に戻りたいと発言するより甘かった。

おれは崖の下に落ちていることにさえ気づいていなかった。

期間工に必要な能力はこの2つだけ

期間工になってすぐに気づいた。
期間工としてやっていく上で、大事な能力は2つだけだ。
作業を覚える能力。そして人間関係を構築するコミュニケーション能力だ。

そのどちらもおれには、致命的なレベルで欠けていた。

ちなみに石田純一いわく、女性を口説くのに必要な言葉は3つだけらしい。
「へえ!」「本当かい!」「信じられないな!」
はい脱線。

予想以上にもろかった。おれの価値観、人生観。

人間心理は恐ろしいもので、閉鎖的な空間内で同じ定規で計られると、それがどんなに狂った定規でも、それまで築き上げた自分の価値観なんて、あっという間に崩壊する。

一週間前まで、おれはボルトの早締めができようができまいが、それはおれ自身の価値になんら影響しないものと考えていた。
期間工として早締めスキルを要求されて、それができなかったとしても、おれのメンタルにはなんの影響も及ぼさないと思っていた。

間違っていた。むっちゃ影響してるわ。

外でボルトの早締めスキルをドヤ顔で自慢しても嘲笑を買うだけだ。
だが自動車工場内では、そのスキルでヒーローとして輝ける。

おれはあっという間にその価値観に染まった。
そしてあっという間に、自分のポンコツ具合に落ちこむこととなった。

まさか自分の人生で、「ボルトが早く締められるようになりたい」と思う日がくるなんて思ってなかった。
もしあの時、目の前に神龍が現れたら「早締めのスキルおくれーっ!!!!」と拳をあげて叫んでいただろう。

自分に価値がないと思った状態で、人間は生きていけない。

スキル的なポンコツ具合と、己の価値観が耐久性ゼロの欠陥住宅だったダブルパンチで、おれは暗闇にずっぽりはまった。

そして期間工の大脱走が始まる。

ただそんな苦悩を抱えていたのは、おれだけではなかったようだ。

まあとにかく次から次へと消えるのなんのって。
同じピチピチのツナギを着た、泥の同時期デビュー組が消えていくんだ。

その頻度たるや事件性を疑うレベルだ。
おっさんの集団神隠し現象が起きていた。

そして次々と補充されてくる新たな期間工のおっさんたち。

かつて大量のヒヨコがベルトコンベアの上を流れてくる映像を見たことがあるが、そんな感じでおっさんのコンベアがあるんじゃないかと思うくらい、まあ次から次へと新たなおっさんが現れる。

みんな同じようにピチピチのツナギとゴーグルを着けて、同じようなテンションの低い顔で現れる。
名前が全然覚えられん。

おっさん製造工場

おっさんコンベア

増殖するおっさん

ヒマだから増やしてみた。

僕にとってのあっぱれ!が、
君にとっては喝!だったりするんだなあ。
いさを

「俺ずっと営業やってたんですけど、人に物を売ってくのに比べたら、ここめっちゃ楽勝っすわ!」

昨日までそんなセリフを吐いてタフそうに笑っていた奴らが、次々と来なくなる。
もう誰の言葉も信じられない。
消えていった人間へのうらやましさだけが募る。


余談だが、この大脱走劇で知ったのは、辞め方にも色んなバリエーションがあるんだなということである。

例えば、とある別ユニットの期間工が消えた話はこうだ。

ある朝、なんの連絡もなくその男は職場に現れなかった。
電話をかけるも、スマホの電源が切られている。

仕方なしにリーダーは、寮長に部屋を見てくれと連絡をする。
しかし寮長がそいつの部屋に入ると、そこはすでにもぬけの殻だった。

妙にきれいにたたまれた布団とブランケット。
机の上には社員証と保険証となぜか安全靴きっちり並べられ、そしてその横には白い封筒が置いてあった。

胸騒ぎを覚えながら寮長が慌てて封を切ると、中から更なる緊張感をいざなう和紙の便箋が出てきた。
震える手でそれを開く寮長。
そこにはでかでかと筆文字でこう書かれていたらしい。

「辞めてやるぜ!!!!」

かっこいい。
この話を聞いたとき、おれは素直にそう思った。

まったく男らしくない逃げ方なのに、めちゃくちゃ男らしく感じてしまった。
“やるぜ”が秀逸だ。
あと意図的かどうかはともかく、不吉な予感をほのめかす演出もおれ好みだ。

あっぱれ!
おれは心の中で張本勲の顔マネをしながら称賛した。

今思えば、完全に喝!だ。
やっぱどうかしてたんだな、あの頃のおれ。

千と千尋の神隠しとハクとおっさん

ハクとおっさん。なんだこれ。